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我思うゆえに我あり、とは私は思わないかも

「我思うゆえに我あり」(byデカルト)ですが、何年か前に本当にそうなのかなと疑問を持ちました(○´・Д・`)ノ

私が何かを思うのは、本当に私の意志でしょうか。例えば「我思うゆえに我あり」について、今私がふとこの記事を書こうとしているのは私が今日はこれを考えたいと思ったからなのか、そこが疑問なのです。

また在嶺が意味不明なことを言い出した、いや全くその通りなのですが、それをなぜ今思うかというと、それは私の意志ではない気がします(´∀`*;)ゞ

じゃあ、神様に操られているの? いや、それも違います。

誰かに思わされているとかそういうことを言いたいわけではなくて、「我」が何か思うときに何を思うかを「我」が選んでいるわけではないという話です。

例えば「我思うゆえに我あり」というのは本当だろうか、実は違うんじゃないだろうかと思ったきっかけは哲学書を読みながら熟考しているときでした。そこには別にデカルトの言葉が書かれていたわけではありません。本に書かれている何かのキーワードがデカルトの言葉を考えるきっかけになったのです。

考えるきっかけや思うきっかけはいろいろあります(´pωq`) 懐かしい景色かもしれませんし、誰かの言葉かもしれません。それらを仮に「それ」とするなら、「それ」に思わされた「我」がいるのです。

デカルトの哲学は自分で完結してしまっています。この有名な言葉にも我しか出てこないのですからw( ̄o ̄)w しかし、私たちは自分が思っている以上に自分だけで完結できないようになっているのではないでしょうか。周りとの関係で思うことの方がずっと多いと思います。

仮に無人島で近くに人は誰もいなかったとしても何かを思うきっかけは例えば海を見て「この向こうには」と思ったりするはずです。自然の中に他の生き物と共に人間もあるのだと私は思います((⊂(^ω^)⊃))


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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

老子の教えは世捨て人向け、楽なのと幸せは違うと思う

「聖人の治は、其の心を虚しくして其の腹を実たし、其の志を弱くして其の骨を強くし、常に民をして無知無欲なら使め、夫の知者をして敢て為さざる使む。為す無きを為さば則ち治まらざること無し」by老子

訳すると、聖人の政治とは民の心を空っぽにして民の腹をいっぱいにし、民の志を弱めて民の筋骨を丈夫にし、いつも民を何も知らず何も欲さない状態にしておき、賢い者にわざと何もさせない。やることがないという状態にしておけば統治できないということはなくなる。という感じになると思います。

いや、これって聖人の政治じゃなくて悪徳代官の政治じゃないですかねo(o・`з・´o)ノ

人間は無知無欲でいれば、確かに苦しんだり悩んだりすることが少なくなると思います。しかし、それを幸せといえるのでしょうか。欲求が多いと苦悩も多いでしょうけど、それだけ生が充実していることでもあります。全く無欲になってしまったら、生きる意味も分からなくなってしまうんじゃないですかね(´∀`*;)ゞ

老子の教えは奥深い自然洞察を含んでいて、良い言葉も多いです((∩^Д^∩)) 自分を磨くために取り入れたい言葉はありますが、政治など対人の思想となると違うんじゃないかなと思うときがあります。


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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

別れのあいさつ、いろんな国の言葉を比較してみた

日本語の「さようなら」というのは他の国で対になる言葉があまりありません。語源は「左様ならば」から来ているので、それなら今別れるのは仕方がないというような意味合いで別れのときの挨拶となりましたヾ(o´∀`o)ノ

では、他の国ではさようならと日本語に訳される言葉というのはどういうものがあるのでしょうか。

まず英語の「Good bye」ですが、語源は「神のご加護がありますように」という意味です。フランス語の「Salut」も同じような意味だといいます。キリスト教圏の国らしいかもしれませんね。

タイの「サワディーカー」というのはどの挨拶にも使える言葉ですが、「今日も幸せでありますように」という意味です。言葉にはあまり仏教色はありませんが、お辞儀の仕方が仏教国らしいしぐさをします。アラビア語のさようならにあたる言葉は「ご無事で」という意味で、韓国語のアンニョンヒガセヨというのは「お元気で」という無事を願う意味です。

中国語の「再見(サイチェン)」は、「またね」「また会いましょう」という意味でしたね。同じような別れの挨拶をドイツ語の「Bis morgen」は「また明日」、他もドイツ語は「また後で」「ではまた」など同じ意味合いが多いです。イタリア語も「Ciao」は「あなたのしもべ(友人)です」という意味ですが、改まった挨拶は「また後で」という意味を持っています(っ*^ ∇^*c)

こうして比較してみると別れの挨拶は様々ですが、言葉に込められた気持ちは世界共通なのかなと感じました(^ω^ ≡ ^ω^) 別れることが残念な気持ちと相手に元気でいてほしい気持ちとまた会いたいという気持ちですよね。

日本語でもさようならだけを普通に使うことはないですよね。友人など対等な関係なら「またね」「元気でね」と組み合わせますし、改まった挨拶だと「それではまた」とか「失礼します」、「お気を付けて」などを付けます。他の国で使われている表現と似ているんじゃないでしょうか。

他の国の言葉の語源も考えると、重複したことを挨拶に使ってしまっているかもとも思いましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ 「ばいばい」が英語から来ているとしたら、それに「元気でね」と付け加えたら同じような意味合いになってしまいます。「じゃあね」は「ではまたね」を省略したものですから、「じゃあね。またね」と言ったら同じことの繰り返しです。

でも、普段から全部語源を考えて言葉を話すことはできませんよね(´∀`*;)ゞ


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テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

年を取るメリット? 発達心理学と孔子の人生観

最近、日曜日は休養することが多い在嶺です( ̄^ ̄)ゞ ちゃんと休まないと次の週が持ちません。年相応に疲れやすくなったのだと思いますが、それはもしかしたらいいことかもしれないと思います。風邪などの病気になる前に休むように体が学習しているのかもしれません。

よく四十不惑が知られている孔子ですが、実は続きがあります。五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず、です。

この言葉について発達心理学の専門家が面白い分析をしていました((^∀^*))

老齢になると体力が衰退するために逆らわなくなり規範から外れることもできなくなるのではないかという話でした。そして、それは体的には衰退でもあるけれど、老年の発達課題においては諦念を覚えるという成長でもあるのではないかと(*ノ∪`*)

確かに発達というのはその前の段階の安定を失うことでもあるんですよね。例えば私たちの指ですが、これはにょきにょき生えてきたわけではありません。つながっていたのが間の細胞が壊れて指ができます。

それを考えると、老いることで得るものがあるのかもしれません。現代の人間の感覚では子どもから大人になることは成長で、青年から老年になることは衰退のように感じますが、本当は成長と衰退はいつも同時に起こっているとも考えられますo(^▽^)o


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テーマ : 科学・医療・心理
ジャンル : 学問・文化・芸術

音楽を勉強した人はバッハに飽きていることも

音楽の話をすると、音楽を勉強したことがない人と勉強した人ではバッハという名前のイメージが違うような気がします。気付いたのは最近なのですが、単なる好き嫌いや感受性の問題ではなさそうです(゚∀゚≡゚∀゚)

バッハの合奏曲は名作が多いですが、ピアノ曲やチェロ、ヴァイオリンなど単体の楽器の曲は少し雰囲気がバッハの名曲とは違います。楽器の練習には適した曲が多いので、音楽を勉強すると必然的にピアノ曲などのバッハに出会うわけです。壮大な作品には聴こえないのですが、指使いの難易度はかなり高い曲が多くて、「練習しようっと。またバッハ?((´・ω・`;))」と嘆きたくなります。

それがまたこんなの別に弾きたくないと思うようなどうでもいい曲だったら音楽を勉強する人もバッハに飽きないと思いますが、どうしてもそれを弾けないと納得して次に進めないような魅力があります。

そういうわけで、音楽を勉強した人にとってバッハは学術的な音楽家の印象が強いです(´∀`*;)ゞ

ベートーヴェンが「バッハは小川ではなく大海だ」と評したように、どちらもバッハという海の支流なのでしょうねp(*^-^*)q ちなみに小川はドイツ語で発音がバッハなのでベートーヴェンの言葉はダジャレだったそうですけど(笑)


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テーマ : 芸術・心・癒し
ジャンル : 学問・文化・芸術

母性と睡眠、環境問題で本能も低下しているのかな

赤ちゃんと一緒に寝るとき、赤ちゃんを気遣いながら寝ている人がほとんどだと思います。でも、眠気が伝染するからか、浅い眠りかというと一人のときよりぐっすり眠れることもあるんですよね。これが不思議だなぁと(´Д`*)

これがうまい具合に子どもが熟睡していて心配がいらないときほど、多分大人も熟睡しているのだと思います。熟睡していても子どもが何かサインを出すとほとんど反射的に起きるものです。このメカニズムは他の緊張感ではあまりないので生き物というのはよくできているなと思います。

母性と書きましたが、母親だけでなく父親であっても他の大人であっても母性的な本能に数えられるかと思ってこの言葉で書きましたo(^▽^)o

母性本能というのは生存本能と同じくらい強いように思います(*’U`*) 虐待のニュースとかありますが、倫理的にも問題ですが、それよりも本能が地球の環境破壊によって薄れている可能性もあるのではないでしょうか。責任感だけで子育てをできるものではないと思います。

生存本能に逆らって自殺してしまうのも近代になって多くなっていますし、本能が機能しなくなるのは難しい問題です(ノ_<)


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テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

ゴッホの死因は自殺じゃなかったのかも!?

以前からゴッホは自分を撃った相手をかばって自殺ということにしたという話がありました。ゴッホが自殺と判断されたのは自分で撃ったという彼自身の言葉以外証拠がありませんでした。反対に自殺ではない決定的な証拠もなかったので、ずっと自殺で扱われてきたのですw( ̄o ̄)w

ゴッホが自殺だとするとおかしい点について

・彼が使った銃が見付からない
・精神病だと周りは知っているので彼には銃の入手は困難
・自殺を批判していた
・撃ったところが利き手からして不自然
・現場だと彼が話した場所から歩ける容態ではなかった
・死の直前に使用していた画材が行方不明に

もしもゴッホが人に撃たれたのに相手をかばって自殺と思わせて亡くなったんだったら、どんだけいい人なんだ(苦笑) でも、そうまでしてかばった相手は誰だったんでしょう。まあ、歴史には解明できない謎もあるさ……ヾ(・∀・)ノ えっ、ゴッホへの罪の意識で苦しみ続けた男性が告白? 何と相手が現れました(゚△゚;ノ)ノ

彼が取材に答えたのは以下の内容

・彼と弟は少年時代売れない画家ゴッホをからかって遊んでいた
・ゴッホの死因となった銃は彼の所持品だった
・ゴッホは自分の致命傷を悟るとまだ少年の彼と彼の弟が巻き込まれないように逃げるように言った
・その際銃や画材など現場にあるものは全て彼が持ち去った

その男性ですが、実際にゴッホを撃ったのが誰だったのかについては言わないまま、その取材の翌年亡くなったそうです。そして、ゴッホが被弾した現場にいた人間は全員故人になってしまったので、ゴッホが自殺だったのか少年たちをかばうために嘘をついていたのかを知る人はいなくなりました(っω・`。)

事実は知りませんけど、真実はこの話だけでも、ある程度分かります。ゴッホは精神を病んでいたのだと思いますが、誰が銃を撃ったにしても少年たちを厄介事に巻き込みたくなくて最後の力を振り絞って守ったということです。

ゴッホは数多くの自画像を描きましたが、晩年の作品ほど表情が穏やかで優しそうな人になっている印象を受けます。100年も前の人で実際に会ったわけじゃないですけど、瀕死のゴッホが少年たちを守ろうとする姿が何となく浮かんでくる在嶺でした(* ´ ▽ ` *)


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

うつでない人はポジティブすぎるらしい

目の錯覚があるように心にも錯覚があるそうです。まあ、あるでしょうね(ノω`*)ノ それが病的な思い込みだと妄想になりますが、普通の人にも錯覚している思い込みがあって、それをポジティブ・イリュージョン、ネガティブ・イリュージョンといいます。

人間がどちらの錯覚が多いかというとポジティブ・イリュージョンの方なんですね。統計では自分が平均より上だと思う人が98%社会に存在していて、普通の比率で考えたら平均というのは半分ということですから、この数字のずれがポジティブ・イリュージョンによるものだといわれている、とw( ̄o ̄)w

軽いうつの人が周りからの評価と自分自身の評価が同じくらいで、うつでない人は主観的評価が少し過大評価になるのだそうです。

うーむ、じゃあ、みんな自分を過大評価しているってこと?(〃▽〃) ちょっと待ったー!! 周りからの評価が真実とは限りませんね。周りが知らない自分の要素もありますし、客観的評価というのはその時代と地域の多数の人の意見であって、ひとつの主観的評価なわけですから。

まあ、そう割り引いたとしてもポジティブ・イリュージョンは存在すると思います。他の人より少し優しいとか少し努力家だとかそういう抽象的な評価も含めてのことなので。それに病気ではなく、人生に満足できるようにこの錯覚はあるのだそうです(^ω^ ≡ ^ω^)

だから自己愛性人格障害や躁病のような誇大妄想にまでならないなら、少しくらい錯覚していてもいいのでしょう(´∀`*)

ついでに書いておくと、軽いうつの人が現実的なだけで、うつ病、重度のうつになると、微小妄想という反対の病的な状態になります。微小妄想というのは極端に自分を過小評価してしまうことで、生きている価値がないとか自分には何ひとつできないとかそういう妄想です。

ネガティブ・イリュージョンというのは微小妄想まではいかず、自分を限定してしまうことをいいます。例えばやったことがないのに自分にこういう仕事は向かないとか限界を決めてしまうことだそうです。

この間、別の記事で何かを探していると見付からないと書きましたが、今は私がメロディーを思い付いたときに書くノートがなくなって捜索中( ノД`) 早く見付けたいけど、やっぱり諦めた頃に出てくるんだろうなぁ(^^;

そうだ、ないといえば塩を切らしちゃったんですよ。「塩がないなんて、しぉーがない」(言葉に出すと違和感ありません(笑))

トッピュー……ヒュルルー……ヒュゥー…… (寒い風が吹く音)

わぁあ、寒すぎましたね(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚) ダジャレは小学生で卒業しろという感じですよね(´∀`*;)ゞ まだ冬の寒い時期じゃないので、寒いネタをお許しくださいませー(苦笑)


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テーマ : 科学・医療・心理
ジャンル : 学問・文化・芸術

志望校に合格するには適度な参考書だとか

五教科でいうと私が一番苦手な教科は数学だったんですけど、数学が得意な先輩に参考書選びの相談をしたことがありました。そのときに聞いた話が人生哲学にも通じているかなと思うので紹介します(ノ´▽`*)b☆

人によって参考書の向き不向きも当然あると思いますが、志望校に合格することだけを考えると難易度が中~上くらいのものが一番良いそうです。最上級の専門書に手を出してはいけないと言われました。なぜかというと、あまり受験生のときに学問を究めようとしすぎるとひとつの学問に熱中しすぎて、他の科目に手が回らず合格できない人が多いのだとか。受かることを目標にするなら、あまり難しい参考書に手を出すのは禁物なのだそうです。

私はおそるおそるその鉄則を破った人はどうなるのか訊きました(゜д゜) すると、その鉄則を破る無類の学問好きは専門家としての道、研究者として暮らすことが多いのだとか(´ω`人)

数学では幸いか不幸か私はそうなることはありませんでしたが、この話をよく思い出します。資格や試験に受かるための勉強というのは目標に対して程良いことが大切で、学問を追究していたら勉強になりません。自分が勉強するときもそうですが、教える立場のときも気を付けようと考えることです(っ*^ ∇^*c)


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テーマ : 雑学・情報
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独裁者の最期、善悪の問題じゃなくて独裁は大変

探し物って忘れた頃に出てきません? ニーチェの本のどこかにローマの皇帝たちの最期が書かれていて、ニーチェというのは分かっていたのですが、約二十冊くらいの中から探せなくて諦めました。今年中に見付かればいいなと思っていたら、諦めた翌日見付けちゃったΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

暴君ネロとかヒトラーの死に方はよく知られていますが、アウグストゥスの最期の言葉をご存知ですか? 私もニーチェの本で初めて知りました。

「喜劇は終わった。友よ、喝采で見送ってくれ」

そもそもアウグストゥスって誰じゃ?(笑) Augustは彼が8月生まれだったためにアウグストゥスから来ているくらい歴史上は重要な人物です。なんたってローマの初代皇帝ヘーカさま……|д゚)チラッ 有名な人との絡みでいうとカエサルの養子でクレオパトラに勝って自殺に追い込んだ人物でした。

この人、結構まともな皇帝で、民からも慕われていました。そういう人物でも最期の言葉は独裁者として時代の役割を演じたことへの疲れだったわけですね。

一方まともでない独裁者の場合は、ティベリウス帝という暴君ネロ帝より少しまし程度の皇帝の最期は、病気から持ち直しそうとしたときに人々から枕を押し付けられて窒息死したといいます。

どうして歴史があるかといえば悲劇を繰り返さないためだと思うんですよね。カエサルの時代は民主制がかろうじてある時代で、独裁がすぎたから暗殺されました。その次がライバルを倒してアウグストゥスが今度は名実ともに独裁者になり、独裁制で歯止めが利かない状況だったからその後の世のネロ帝やティベリウス帝のような恐怖政治も起きたわけです。

独裁制というのは独裁者本人が善人か悪人かの問題ではなく、一人の人に社会の命運が決められてしまう政治だから問題なのだと思います。

で、独裁者本人がまともな感覚を持っていたら責任感で生涯苦しみ、まともでなかったら人々に反発されて苦しむという、独裁者自身もつらい思いをするのではないでしょうか。

たくさんの歴史を経て現代があって、せっかく苦労のうえに成り立った憲法の三原則は続いてほしいなぁと思います。

ところで暴君ネロ帝の最期の言葉。(ネロという名前の皇帝が複数いるため暴君を付けます)

「なんと惜しい芸術家が予の死で失われることか」

この人、どんな芸術を表現していたのか調べてみたら、死人が出てます……(。Д゚; 三 ;゚Д゚) コンサートを開いたら観客が全員いなくなったので、強権発動で塀の中に閉じ込めて無理やり鑑賞させたら病気になる人や塀を乗り越えようとして殺される者が続出した、と。どんな芸術やねん!(笑) (当時の人には笑い事じゃないでしょうけど) つまらないというだけなら分かりますが、殺されてまで逃げないといけない芸術って一体何だったのでしょうね(^. ^;)


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在嶺結為

Author:在嶺結為
詩、小説、音楽、絵、写真など表現をすることが趣味です。 好奇心旺盛で歴史から始まり学ぶことも生きがいになっています。 近年はドラマとか歌とか文化を楽しむようになりました。
このブログを始めてから他の方のブログを訪問するのも楽しみの1つです。
金は天下の回り物と思っているからか器用貧乏(もしくは不器用なうえに貧乏?)なのか分かりませんが、金欠病が慢性化しております(笑)
変わった奴ですが、よろしくしてやってください。

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2017.7.5  管理人 在嶺結為
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